はっぴーはっぴー人生

どうやったらはっぴーはっぴーな人生って送れるんでしょう??ちょっと考えてみました。

何もしない、何も考えないことで現実が動き出す

こんばんは。

とうとう6月も半ばで梅雨の時期ですね。

歳をとると本当に時間の流れが早くって、、

 

そんなこんなで相変わらず私は潜在意識と向き合った日々を過ごしています。

 

最近 私はすごく自分の中で腑に落ちた文章を見つけました。

この文章のおかげで自分の周りで展開している現実を「現実逃避」としてでなく、本当の意味で向き合うことができるようになりました。

長いですが、これが誰かの心に響けば幸いです。


現状を受け入れるってのは、別の言い方をすれば現状を変えようとしないってこと。
つまり感情が解放できないのが現状なら、感情を解放しようとしないってことが大事。

受容っていうのは「現状に何か問題があって、それを解決しようとする、そういう態度をやめろ」って意味なんだよ。
完璧なんだから、やり方がよく判らない、感情も解放できない、
そういう事を含めて「それでこそ完璧」なのよ。
問題は解決できない、現状も変わらない、苦しみもなくならない。
それが完璧。

問題を解決する気はない。事態を改善する気もない。
今以上の何かを得ようとも思ってない。最悪でも苦しくてもOK。今で完璧。
そういう視点から物事を見ることができると、本当の意味での「意図」ってのが見えてくる。

何も改善するつもりはなく、単にしたい。意味はないがやりたい。そういう意図。
普段の我々の行動は、本当の意図じゃなく、問題を解決しよう、
事態を改善しようという「理屈」から発生してることが多いからね。

その背後に、お金や恋人が不安や恐れから自分を救ってくれるのではないか
という期待があるなら、それは本当の意図じゃなく、逃避。だから叶わない。
たまに叶ったように見えても、少し経つと結局何も解決していないことに気付かされてしまう。
恐れや不安を動機にしている限り、何をどうやっても、どこにも行きつきはしない。

じゃあ、どうするのか。
恐怖を行動の動機にしないための方法はただ一つ。「恐怖から逃れようとしない」こと。

この問題を解決しよう、何とかうまくかわそう、何か手があるはずだ、
そんな事を考えている間は問題と向き合ってはいない。問題を受容していない。

恐れの原因である何らかの問題を解決しようとするのを、やめる。
うまくやろうとすることを、やめる。
問題解決という名を借りた問題逃避を、やめる。

これを読んで、私は必死こいて現状を変えようとしていたんだっていうことに気づきました。

 

前に読んだんですが、

鏡に写っている自分が現実で、自分自身が真実だとしたら

鏡の中の自分にリンゴを持たせようと色々としたって無理。

でも、真実の自分がリンゴを持てば現実の自分もリンゴを持つことができるから問題は解決する

的な文章を読みました。

記憶がかなり曖昧なんで実際の文章とかなり大きなズレはありますが笑

この文はずっと頭に残っていました。

かなり真実をついてるな と。

 

願望を叶えたいあまりに私たちは、現実に一生懸命手を加えようとしていたんですよね。

そんな必要は全くないはずなのに。

現実を直接変えなくては、自分の願望は叶うはずがない そうずっと思い込んでいたんですよね。

 

だから私は、現実を本当の意味で受け入れようと思うようになりました。

 

こんな現実嫌だ!ってエゴが騒いだら すかさず私はエゴから目を離さず見つめるようにしました。

そうすると不思議なもので、エゴは即静まるんですよね。

そして残ったものは、ただのニュートラルな現実のみなんです。

ニュートラルな現実だけが残ったら 私は必ず前向きに現実を捉えます。

 

例えば 恋人との思い出の物があるとします。

自分自身はまだ恋人を忘れられません。

その思い出の物を見ると、恋人との記憶が蘇り とても辛い気持ちが溢れてきます。

ここで目をそらしてはダメなんです。

逸らさずにとことんその辛い現実を見つめます。

とことん見つめます。

どれだけ時間がかかったって構いません。

見つめ続けます。

そうすると、あんなに騒いでいたエゴが静かになるんです。

そしてエゴが静かになった後に残るものは「恋人との思い出の物」ではなく「ただの物」だけが残ります。

 

私たちは「ただの物」に対して勝手に価値をつけているんです。

「辛い」だとか「悲しい」だとか

勝手にマイナスの価値を与えているんです。

 

そこにあるのは「ただの物」なのに

勝手に「恋人との思い出の辛い物」と勝手に価値を与えています。

 

ニュートラルに物事を見ることができるようになれば、私たちの周りは完璧なもので埋め尽くされます。

自分自身を苦しめるものなんて、本当は一つもなかったということに気づくことができます。

 

そうしてくると面白いもので、徐々に自分の思い通りに現実が動き出すようになってくるんです。

 

私も 徐々に現実が変わってきました。

まだまだ小さいことだけです。

でも、その小さな変化がいつも起こるようになってきました。

 

そして、どういう時に願望が現実に現れるようになるのかも やっとで理解できるようになりました。

 

なぜ みんな、手放せというのか理解できました。

なぜ忘れろ というのか理解できるようになりました。

過去の自分と照らし合わせても、確かに手放していた時に限って「良いこと」や「悪いこと」が「なぜか分からないけど」起こっていたな と気づきました。

 

私の場合、悪いことなんですけども

失敗したかも!ってすごく心配している時に限って何も起こらなくて、何も問題なんて起こってることすら気づいていない時に限ってミスしていることが過去沢山ありました。

 

こうやって現実は無意識の時に動いている ということが自分の中で沢山あったことを思い出しました。

 

よく、期待している時に限って何も起こらないことってありません?

そして、忘れていたことに関しては「なぜか分からないけど」思いがけないことが起こった! ということ。

身に覚えはないでしょうか。

 

私はものすっごくあります笑

 

それを思い出した時 「あぁ、現実ってそうやって動いてるんだな」って気づくことができたんです。

 

でも、気づいたからといってあんなにも強く執着していたんだからそりゃー簡単には手放せません。

だから、願望に対して何か考えてる時は「絶対に何も起こらない」と気づくようになりました。

 

逆に「何も考えていない時に思いもよらない形で願望が実現する」ということにも気づけました。

 

この気づきのおかげで、実は願望に対して何か行動を起こすということは 実現を止めているだけなんだなと気づきました。

 

だから私は できるだけ何も考えず、何もしない時間を多く持とうと思いました。

 

だってそうすれば現実が変わるから。

私はすごくワクワクします。

何にも執着していない時 確実に現実が動いているんだと思うととてもワクワクします。

 

別の領域とかまだよく分からないけれど、私はしばらく何もせず、考えない時間を楽しんでみようと思います。